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神社 [コラム]

宇宙の本質は穴である。神社とは穴なのである。神とは穴である。
 
 いろいろな宗教がある。が、神の本質を穴として捉えている宗教は日本神道だけである。
 
 古事記、日本書記には神は他の宗教と同様実在のように書かれているが、正世界の住人から見ると、えてしてそうならざるを得ない。穴を神の本質と捉えることは人間には難しい。

 記紀の神々はともかく、神社の気配は穴であることは日本人には体感し易い。
 
 祭神が誰であれ、殆どの日本人は祭神には無関心である。日本人は“穴の個性”には関心がない。当然であろう。穴は単に穴であり、穴に個性など感じない。

 神社の特徴は四方が森の中に開け放たれていることである。ユダヤ教のシナゴーグ、キリスト教の教会、イスラム教のモスク等宗教的建造物は閉鎖空間である。宇宙に広がっていない。
 
 神社は必ず森の中にある。森は空に繋っている。人間にとって最大の穴とは宇宙空間である、空である。だから日本人は神は穴であることを比較的体感し易い。
 
 日本でも新興宗教の建物は閉鎖空間である。だから新興宗教の信者は神を穴とは思わない、思えない。“自分たちの”神にこだわる。神は信者たちの自我の延長線上にある巨大な自我、要するに偽神である。
 
 
 神社であるが、古神道には社など無かった。神の居所即ち神籬(ヒモロギ)は森であり、森の中の岩であり、山であった。祭神なども存在しなかった。単にカミであった。
 
 日本神道は窮極の宗教である。

 今では神籬は殆どの場合神社であるが、私は最近高千穂峯周辺の神社を回って来たが大きな変化を感じた。つい最近まで感じた、あるいは見た、神影が殆ど無くなっていた。祭神が透明化してしまって、そこにはカミの古寂(サ)びた気しか無かった。

 人間の自我の稀薄化と共に、神々の個も稀薄化し、透明化しただの穴になっていた。穴の真空圧は日を経るごとに高まるであろう。 

 日本民族の使命は唯一つ、真空民族に復することである。

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